愛とはなんだ。
一つの答えでは語れない、この感情について。
昨日、サブスタを徘徊していたら、
こんな文章を見つけた。
ふと、私も愛について考えたくなった。
最初に、お伝えします。
この文章に、正解はありません。
愛の形は、人の数だけあると思うから。
これは、私が「愛」という言葉に
ついて考えた記録です。
読み終えたあと、
あなたにとっての「愛」を
そっと教えてもらえたら嬉しいです。
愛という言葉は、
あまりにも身近で、あまりにも曖昧だ。
「愛してる。」
「愛がある。」
「愛がない。」
私たちはよく「愛」という
言葉を使い耳にするのに
その正体を説明しようとすると、
急に言葉が足りなくなる。
理由はきっと、目に見えないものだから。
好きとも少し違う。
恋とも少し違う。
では、愛とは何なのだろう。
おそらく、古くから、
人はその答えを探し続けてきた。
「愛」という漢字の成り立ちには、
いくつかの説がある。
その中でも、私が好きな説は、
「心を抱き、ゆっくり歩く姿」
を表しているというものだ。
心を胸に抱えながら、相手のもとへ歩いていく。
急がない。
押しつけない。
置き去りにもしない。
愛とは、誰かの速度に合わせて
歩こうとすることなのかもしれない。
だから愛は、測れるものではない。
連絡の回数でも、
会う頻度でも、言葉の多さでもない。
相手の歩幅を思いやれるか。
そこに、愛は宿るのかもしれない。
また、日本では「愛」という字は
「相手の心を受け止め、それに応えること」
と解釈されることもある。
たしかに、
受け入れ、応えることも
愛の一つなのかもしれない。
愛情。
慈愛。
友愛。
敬愛。
博愛。
恋愛。
溺愛。
偏愛。
日本語には、
「愛」がつく言葉が驚くほど多い。
それだけ人は、
一つの「愛」だけでは
語れないことを知っていたのだろう。
「慈愛」とは、
見返りを求めず慈しむ愛。
母親が眠る我が子に毛布をかけるような愛。
「友愛」は、
立場も損得も超えて相手を大切に思う愛。
「敬愛」は、
尊敬と愛情が重なったもの。
「博愛」は、
身近な人だけではなく、多くの人へ向ける広い愛。
そして「恋愛」は、相手を特別に想う愛。
同じ「愛」でも、
向かう先も、温度も、色も違う。
さらに面白いのは、
「愛」が付く言葉には、
美しいものばかりではないことだ。
「溺愛」
愛しすぎて、相手を飲み込んでしまう愛。
「偏愛」
人から理解されなくても、
一つだけを深く愛すること。
「寵愛」
特定の人だけを特別扱いする愛。
愛は、
美徳にもなれば、執着にも変わる。
だから愛は、
いつも正しいとは限らない。
「愛」は、「好き」似ているようで違う。
好きは、感情で始まる。
愛は、選択で続いていく。
好きだから一緒にいたい。
愛しているから、相手の幸せも願える。
好きは、
自分の気持ちが中心になりやすい。
愛は、自分だけでは完結しない。
もちろん、恋愛だけが愛ではない。
子どもを送り出す親の背中。
毎朝、黙って味噌汁を作る祖母。
言葉は少ないのに、毎日家族のために働き
壊れた自転車を何も言わず直す父。
何も言わず、隣に座ってくれる友人。
「気をつけてね。」
その一言だけ送ってくれる人。
大きな言葉より、
小さな行動の中に愛は隠れていることもある。
だから私たちは、
その小さな愛を見落としてしまう。
派手ではないことが多い。
映画のような演出も、
ドラマのような告白もないから。
もしかすると、本当に長く残る愛は、
案外、静かなものなのかもしれない。
日本には、
「愛」という言葉が
今ほど使われなかった時代がある。
古典文学でも、
「恋」は数えきれないほど登場するのに、
「愛」という表現はそれほど多くない。
代わりに使われていたのは、
「慕う」
「慈しむ」
「恋う」
「想う」
そんな言葉たちだった。
つまり昔の日本人は、
一つの「愛」でまとめるのではなく、
相手を想う気持ちを、細かく言葉で分けていた。
それだけ、人の心は繊細だったのだと思う。
英語にも、愛は一つではない。
Love。
たった一語に見えるけれど、
古代ギリシャではさらに細かく分けられていた。
エロスは恋愛の愛。
フィリアは友情の愛。
ストルゲーは家族の愛。
アガペーは、見返りを求めない無償の愛。
世界中の人が、愛を一言では
説明できないと思ってきた証拠だと思う。
それでも、
人は「愛してる」と言う。
その一言に、
何十種類もの意味を込めて。
だから時々、すれ違う。
「愛してる」の意味が違うから。
毎日繋がることが愛だと思う人。
自由にさせることが愛だと思う人。
叱ることが愛だと言う人。
見守ることが愛だと言う人。
どれも間違いではない。
でも、
自分の愛し方だけが正しいと思った瞬間、
愛は少し苦しくなる。
相手には、相手の愛し方があり、
自分には、自分の受け取り方がある。
その違いを知ろうとすることも、
また愛なのだろう。
私の「愛」はこうだ。
愛とは、「永遠の感情」ではない。
時に言葉にできず、繊細すぎるから。
だからこそ、揺れるたび
なくなりそうになるたびに、
もう一度考え、選び直すこと。
当たり前に感じた時こそ、初心に帰りたい。
腹が立つ日もある。
分かり合えない夜もある。
離れたくなる瞬間もある。
それでも、もう一度向き合えるか。
その積み重ねが、愛になる気がしている。
そして、私にとって愛とは、
自分だけが幸せになることでも、
相手の幸せだけを願うことでもない。
お互いの幸せを願えるからこそ生まれる。
その中には、
一緒に歩く選択もあれば、手放す選択もある。
自分を犠牲にし続けることは、愛ではない。
相手を犠牲にすることも、もちろん愛ではない。
お互いを大切にした先にある幸せを願えること。
それが私にとっての愛なのだ。
だから愛は、
名詞であり、動詞にもなるのかもしれない。
持っているものではなく、育て続けるもの。
証明するものではなく、積み重ねるもの。
誰かから与えられるものではなく、
今日も誰かへ向けて、自分で選び続けるもの。
そして、目には見えない。
答えもないもの。
だからこそ、
気づけた時、その愛は何よりも温かい。
愛とは何だ。
その答えは、一つではない。
親が子を想う気持ちも愛。
友人を信じることも愛。
故郷を懐かしむことも愛。
モノを大切にすることも愛。
仕事に誇りを持つことも愛。
誰かの幸せを願うことも愛。
自分自身を大切にすることも愛。
信じることも愛
手放すことも愛。
きっと人は昔から、そんな答えのない感情を、
たった一文字で
「愛」と呼び続けてきたのだろう。
あなたにとって、愛とは何ですか。





ハグ
ちなみさん、とても素敵な記事をありがとうございます。
私にとっての愛は・・・・
「その人の人生を、ほんの少しでも軽く、美しく、歩きやすくしてあげたいという願い」
かな✨
その人がその人らしく、最後まで演奏できるように願うこと🎻
共創というのかなぁ。
この週末、改めてもっと深く考える機会をいただきました✨