「考え」と「思い」は、
似ているようで、少し違う。
何かが起きたとき、
どうしてそうなったんだろうと考えることも、
嬉しいとか、寂しいとか、怒りとか
なんとなく心がざわつくことも、
昔は全部ひっくるめて、
「自分の気持ち」だと言っていた。
でも、理性とか心理学とか、
そのへんの難しい話はまず置いておいて、
考えることと、思うことは、
別の場所から生まれているのかもしれない、
と感じるようになった。
考えには、理由がある。
こうしたほうがいい。
これはやめておいたほうがいい。
きっとこういう意味だったんだろう。
自分が経験してきたことや、
知っていること、常識を集めて、
なるべく正しい答えを探そうとする。
だから考えは、言葉にしやすい。
「なぜ?」と聞かれたら、
それなりの理由を並べることができる。
でも、思いは
そう簡単には説明できない。
なぜか、好き。
なぜか、受け付けない。
なぜか、会いたい。
なぜか、行きたくない。
なぜか、寂しい。
なぜか、離れたい。
そこに理由をつけようとすると、
急に違うものになってしまうことがある。
頭では、もう考えないほうがいい。
とわかっているのに、心は何度も同じ場所へ戻ることもある。
これ以上期待しないほうがいいと
考えているのに、心のどこかで待ってしまったり。
「考え」と「思い」が
同じ方向を向いてくれるなら、
きっと生きることは、
もう少し簡単なのかもしれない。
だけど実際は、そうじゃないこともある。
頭ではわかっている。
…それでも。
この「それでも」の
先にあるものが、思いなのか。
だからといって、
思いのままに生きればいいとも思わない。
考えることは、
自分を守るためにも必要だから。
でも、考えてばかりいると、
自分の本当の思いが見えなくなることもある。
本当にそれでいいのか。
どう思われるだろう。
そんなことを何度も考えているうちに、
自分の心が動いた瞬間を忘れてしまう。
本当は、嬉しかった。
本当は、悲しかった。
本当は、会いたかった。
本当は、嫌だった。
本当は、辞めたかった。
それだけのはずなのに。
思いには、正解も不正解もない。
その思いをどう扱うかには
考えることも必要な時もあるけれど、
心に浮かんだものまで
正しいかどうかで裁かなくてもいい。
「私の心は、そう思ったんだな」と、
一度、そのまま受け取ってみる。
すぐに答えを出さなくてもいい。
否定しなくてもいい。
人は、時に自分に厳しすぎるから。
ただ、自分の中に確かにあるものとして
受け止めてみる。
それだけでも、
自分のことを少し理解できる気がする。
考えは、
どう進むべきなのか教えてくれる。
思いは、
今、自分の心がどこにいるのかを教えてくれる。
どちらかひとつだけでは、きっと足りない。
頭で考えながら、
心にあるものも置き去りにしない。
そのふたつが
違う方向を向いている日には、
無理にひとつにしなくてもいい。
「私はこう考えている。」
そして、「それでも、こう思っている。」
矛盾したままでも、いい時だってある。
考えと、思い。
その間を行ったり来たりしながら、
迷いながらも自分で決めていけばいい。
そんな時間も、あったっていい。


