あわい(間)
その間にしか見えない世界。
日本には古語で「あわい(間)」
という言葉がある。
人と人。
物と物。
時間と時間。
その「あいだ」や「すきま」を
意味する、大和言葉だ。
他人と友人のあわい。
友人と恋人のあわい。
昨日と今日のあわい。
私たちは、
何かしらの「あわい」を生きている。
白でもない。
黒でもない。
右でもない。
左でもない。
その、どちらとも言えない場所。
昔は、その曖昧さが苦手だった。
白なら白。
黒なら黒。
はっきりしている方が、
安心できると思っていた。
「私たちは友達です。」
「恋人です。」
「もう、終わりました。」
そうやって名前がつけば、
心も整理できる気がしていた。
でも、人の気持ちはそんなに器用じゃない。
初めて会った日。
ただの他人だった。
名前も知らない。
好きな食べ物も。
笑うタイミングも。
何も知らなかった。
それなのに、何度か言葉を交わして、
少し笑って、少しだけ相手を知れば、
気づけば、もう他人ではなくなっている。
だけど、その瞬間は誰も知らない。
「今日から友達です。」
そんな日付は、どこにもない。
少しずつ、本当に少しずつ、
距離は縮まっていく。
ある日突然、恋に変わることもある。
最後まで、友達のまま終わることもある。
どこからが恋なのか。
どこまでが友情なのか。
答えられる人は、案外少ない。
だから、きっと、
大切なのは名前ではなく。
その「あわい」にいる時間なのかもしれない。
はっきりしないからこそ、相手を知ろうとする。
少し近づいては立ち止まり、
また少し近づく。
その繰り返しの中で、
信頼が生まれ、安心が生まれていくのだろう。
そして、気がつけば
かけがえのない存在になっていく。
昨日と今日も、そうだ。
日付が変わる瞬間を、
私たちは見ることができない。
二十三時五十九分。
そして、ゼロ時ゼロ分。
日付は変わる。
でも、世界は何も変わっていないように見える。
それでも確かに、昨日は今日になっている。
人との関係も、きっと同じなのだと思う。
見えないところで、気づかないうちに。
少しずつ、形を変えている。
そんな「あわい」は嫌いじゃない。
むしろ、何かが生まれるのは、
いつだって、その間だから。
朝と夜のあわいに、
空は一番美しい色になる。
春と夏のあわいには、
新しい風が吹く。
子どもと大人のあわいには、
夢と現実が同居している。
他人と友人のあわいには、
信頼が芽生える。
友人と恋人のあわいには、
名前のつかない鼓動がある。
昨日と今日のあわいには、
新しい自分が静かに息をしている。
私たちは、
「あわい」を繰り返しながら。
少しずつ、誰かと出会い、
少しずつ、自分になっていくのかもしれない。
その間にしか見えない景色が。
その間にしか生まれない想いが。
きっと、そこにあるから。



あー、あわい、わかるわぁ。
この関係ってなんなの?!ってなるけど、
逆に関係に名前をつけてはいけない。
名前をつけたら終わる関係ってのが存在するよね。
【あわい】かぁ。なんか納得。
素敵なことば!
途中の時間を味わう。
だからこそ育つものもあるんだなって感じたよ!
急がない関係も大切にしたいなあ~!