人生を見せるとは、パンツを脱ぐくらい勇気がいる。
ちなみ日記 vol.3
おはようございます、ちなみです。
最近、
「人生全てコンテンツ」
そんな言葉を目にした。
文字を書くこと、文章を書くことが
好きな私にとって、「人生を知ってもらうこと」は、
言葉に少しだけ、温度を持たせることなのかもしれない。
例えば、
学生時代、ずっと好きだった浜崎あゆみさん。
あゆが好きで、歌を聴いて、いつも追いかけていた。
あゆの書籍もあって、
記憶が新しいものだと『M 愛すべき人がいて』を読んだ時、
ただ作品を読んでいるというより、
その人の人生に、体温に少し触れた気がした。
読んだ後、
なんとなく、もっと好きになる。
少しだけ、近く感じる。
きっと、人生を見せることには、
そういう不思議な力もあるのかもしれない。
読む側になった時も同じ。
どんな人が書いているのか
知って読むのと、知らずに読むのでは、
言葉の受け取り方も、その言葉が持つ温度も、
少し変わる。
だから、
私がこれから、
文章を書く人間として発信を続けるために、
私の人生を見せることは、
きっと必要なことなのかもしれない。
でも。
私はまだ、自分の人生を語ることに、
少し躊躇している。
人生を見せるって、
そんな簡単なことじゃないから。
私にとって人生を見せるとは、
パンツを脱ぐくらい、勇気がいる。
綺麗な服を見せることじゃない。
ちゃんとしている自分だけを並べることでもない。
見られたくなかった傷。
触れられたくない記憶。
自分でもまだ整理しきれていない感情。
そんなものまで、
少しずつ差し出していくこと。
そんな気がしている。
例えば、
幼少期の出来事。
両親との関係。
母との別れ。
子供の頃のトラウマ。
学生時代のいじめ。
祖母との絆。
忘れられない人との出会い。
奨学金を借りながら必死で卒業した学生時代。
青春の思い出。
人生を変えた恋。
言葉にしづらい想い。
心に残る別れと出会い。
30kg太った黒歴史。
28kg痩せて、
少しだけ自信を取り戻したこと。
仕事。
転職。
妊娠。
結婚。
そして、今。
全部、
今の私を作ったもの。
でも、
経験したことと、
人に見せられることは、全然違う。
話せる日も来れば、
まだ言葉にならない日もある。
全部さらけ出すことが正解じゃないし、
隠すことが弱さとも思わない。
それでも。
もう少しだけ、
近づいて私を知ってほしい。
そう、
心が言っている日もある。
でも、やっぱり
全部知られるのは、少し怖い。
隠したいのに、知ってほしい。
私は今、
そんな矛盾を抱えながら過ごしている。
もしかすると、
その時の自分が、「ここまでなら見せてもいい」
そう思えたところまで。
少しずつ服を脱ぐみたいに、
人生も見せていくのかもしれない。
全部を一気に見せなくてもいいと思っている。
話せるところから。
言葉にできるところから。
少しずつ。
いつ、話せるかも分からない。
でも、いつか話せる日が来たら、
その時はちゃんと、
綺麗に整えた物語じゃなくて、
私が生きた人生として。
少しずつ、
ここに置いていこうと思う。
誰かに理解されるためじゃなく。
誰かに正解をもらうためでもなく。
ただ、あの時の自分が、
ちゃんと生きていた証として。
そして、読んでくれたあなたにとって、
少しだけ、私という人間を
近くに感じてもらうために。
もしも、その途中で、
「私も、同じだよ」
「頑張ったね」
そう思ってくれる誰かがいたなら。
少しだけ、嬉しい。
なんとなく、
あの頃の自分も、少し救われる気がするから。
私の書く言葉にも、
少しだけ体温が残る気がするから。
それくらいの距離で、
私は自分の人生を見せていこうと思う。
話せる日が来たら、
その時の私の言葉で。
急がず、少しずつ。


自己開示。
それができる人は強い。
生きることに盛らなくていいから。
等身大で生きることができるから。
その葛藤わかる。
でもそれを出すことで文章も説得力が増すし、深くなっていくよね。
体験したこと、思いを曝け出すのは勇気がいるけど、発信には必要なのかもしれないね🤔