自分の手で字を書くことが好き。
自分の手で、目の前の情景を撮影することが好き。
自分の手で、可愛いクッキーを作ることが好き。
1ヶ月半前までの私は、まさに職人気質だった。
自分の手で創ることに意味があると思っていた。
その頃の私にとってAIとは、
わからないことを教えてくれる先生
ような存在で、
AIと一緒に何かを「創る」なんて、
ほとんど想像したことがなかった。
むしろ、少し苦手意識さえあったと思う。
そんな私が、この1ヶ月半。
FunStackというコミニティに入り
AIと、AIクリエイティブと、
真剣に向き合ってみた。
そこで知ったのは、
AIは、ひとつの道具であり、
ひとつの「表現」なのだということだった。
AIを使ってクリエイティブをする
たくさんの仲間とも出会い、初めて知ったことがある。
AIを使うことは、
ボタンひとつ押して、
機械に全部作ってもらうような、
そんな「手軽な創作」は何処にもないということ。
自分の限られた時間を、
何時間も使って、頭の中にしかない理想を
どうにか目の前に連れてこようとしている人がいる。
「違う」
「もう少しこうしたい」
「ここを変えたい」
機械と何度も対話しながら、
納得できるところまで作り続ける。
そして、
もっとAIで豊かになってほしいと、
何日間も朝方まで、
自分のために、誰かのために、
開発を続けてくれている人たちがいる。
そこには、「手軽さ」
なんて言葉では片づけられないものがある。
同じAIを使ったとしても、
使う人によって、出来上がるものは全く違う。
何を伝えたいのか。
どんな景色を見せたいのか。
どこに光を置くのか。
どんな言葉を選ぶのか。
その人がこれまで見てきたものや、
感じてきたことまで、作品の中に滲んでいく。
例えば、昨日あげたこの文章。
私は、自分で言葉を選び、歌詞を書いた。
その言葉をAIに渡して、曲を作ってもらった。
そして、
そのとき頭の中に浮かんでいた情景を伝えて、
AIに「あの日」をMVとして再現してもらった。
昔の私なら、自分で曲を作るなんて、
アーティストにしかできないと思っていた。
ましてや、
自分の記憶の中にしか残っていない景色を、
映像としてもう一度見ることができるなんて、
考えたこともなかった。
子どもの頃には戻れない。
あの頃の私を、今の私が演じることもできない。
もし本当に映像にしようとしたら、
脚本を書いて、場所を探して、
俳優さんにお願いして、カメラを用意して。
そんな大掛かりなこと、
普通に暮らしている私にはできない。
だから、
記憶の中にあるものは、
記憶の中に置いておくしかなかった。
でも、AIは、
私の耳に心地いい曲を作ってくれた。
存在しない人物を生成して、
私の記憶の中の登場人物になってくれた。
そして、写真フォルダのどこを探しても
残っていない、あの日、あの時の景色を、
もう一度、私の目の前に連れてきてくれた。
もちろん、
それは本物の「あの日」ではない。
でも、
私の中に残っている記憶や感情を、
言葉にして、音にして、映像にして、
私の「あの日」を形にすることができた。
あの日をもう一度残したくて、
自分のために創った。
そして、それは誰かの胸にも届いた。
それが私には、とても大きかった。
AIで作ったからといって、
感動が薄れるわけではない。
だとするなら、
私たちはなぜ映画やドラマを見て、
自分が体験していない物語に感情移入するのだろう。
そこにはきっと、
誰かが作った物語に、言葉に、セリフに、
音に、情景に心を掴まれる瞬間があるからだと思う。
何を使って創ったのか。
それだけで、作品の価値が決まるわけではない。
その人が何を感じて、
何を伝えたくて、どう形にしたのか。
「何で創ったか」よりも、
「誰が何を伝えたくて創ったか」
私は今、
そこに創作の本質があるような気がしている。
そしてある時気づいた。
私は、「自分の手で創ること」を
やめたわけではなかった。
使う道具が、ひとつ増えただけだった。
筆を持つ。
カメラを持つ。
オーブンの前に立つ。
そして、AIと対話する。
方法は違っても、
頭の中にあるまだ形になっていないものを、
理想の何かを自分なりの方法で、
形にしていることに変わりはない。
どんな道具で創る「創作」も尊い。
AIが創ってくれるから、
手軽になったのではない。
AIがあることで、今までなら
「私にはできない」と諦めていた表現に、
手を伸ばせるようになった。
そして、この1ヶ月半で変わったのは、
「創ること」だけではなかった。
今まで知らなかったことを学び、
仕事に活かせるスキルも身についた。
できなかったことが、
少しずつできるようになった。
ひとつのことにかかっていた時間が短くなって、
その分、もっと考えたいことや、
もっと挑戦にしたいことに、
時間を使えるようになった。
AIに何かを任せたから、
豊かになったわけではない。
AIを知ろうとして、
使って、考えて、試して。
自分にできることが増えたことで、
私の毎日は、少し豊かになった。
たった1ヶ月半。
それでも、
「私にはできない」と思っていたことが、
いくつも「できる」に変わった。
そして今、思う。
創作をするのは、
AIでも、人間でもなく、
その向こう側にある、
「これを形にしたい」
という想いなのかもしれない。
私にとってAIは、
「答えを教えてくれる先生」から、
日常に少しの豊かさをくれて、
一緒に表現を探してくれる、
新しい道具となり相棒となった。
私の中にあるものを
この世界へ連れ出してくれる、
新しい「表現」のひとつ。
そして、
今まで「できない」と思っていた世界を
少しだけ広げてくれる、
新しい「豊かさ」のひとつとなった。
でも、新しい可能性が広がるほど、
知っておかなければならないことも増えていく。
便利だから。
楽しいから。
できることが増えるから。
それだけを見ていたくはない。
AIがもたらしてくれる豊かさと、
その裏側にある危うさも、
きちんと知っていたいと思う。
私はまだまだ、知らないことばかりだ。
だからこそ、
使うことだけを覚えるのではなく、
考えることも、学ぶこともやめたくない。
AIにすべてを委ねるのではなく、
自分で考え、自分で選び、
自分の表現として使っていくために。
これからも私は、
今まで通り好きなことを続けながら
さらにAIとも向き合い、
学び続けてみたいと思う。




AIよりも人の手で
そんなイメージのちなみさんが最近AI使って色々やってるのを見てるとホントに意外しかない!
でも、ちなみさんの作品って相手が見える気がして、そこはなんとなく変わってなくて
結局AIがどうとかよりは、それを使ってどう仕上げるか、誰に向けてどんなメッセージを込めるかなのかなって思う
自分はちなみさんの創作物も好きなんですが
やっぱり、届けたい相手が見える作品が好きだなって思う
それはゲームだったり、曲だったり、MVだったりにも言えることで、
そういう誰かのために熱量をかけられるのが素敵
ただ、記事自体も好きなので、また楽しみにしてますね!
本当、簡単ではないよね。根気が必要な作業だ。こうくるならこうでどうだって。先日のスタさん配布のスキルをiPhoneで動かしてる。諦めなかったよ、わたし。