あ、大丈夫です。
シャンプー台の上で、人はなぜ嘘をつくのか。
今日は、
長年ずっと抱えている嘘について
告白したいと思う。
恋愛の話でもない。
人生の話でもない。
もっと深刻な話である。
そう、美容室。
私は、33年間ずっと
美容師さんに嘘をついていることがある。
先に謝ります。
美容師の皆さん、本当にごめんなさい。
でもたぶん、私だけじゃないと思うから、
今日はこの場を借りて、
大真面目に謝罪させていただきます。
美容室へ行くのは好き。
髪が綺麗になるし、
シャンプーは気持ちいい。
テンションもめちゃくちゃ上がる。
帰る頃には少しだけ自信も回復している。
でも、
そんな私を毎回緊張させる時間があります。
そう、シャンプータイムです。
あの椅子がゆっくり倒れて、
顔の上に、あの例の白い布がそっと置かれる。
あの瞬間から私は、
美容室のお客さんではなくなります。
ただの置物です。
目を開けるのも違う気がする。
閉じすぎるのも違う気がする。
結果、
どこにも焦点が合っていない
薄目の石像になります。
あと、あの白い布。
鼻から息をすると、たまに
パタパタパタッ。
ってなる時があります。
なので私は、
ちょっと恥ずかしくて、
途中からそっと口呼吸へ切り替えます。
誰にも気づかれていないと思うけど、
本人の中では結構な一大イベントです。
そこへ聞こえてくる。
「お湯加減いかがですか〜?」
きた。
これ、第一関門です。
正直に言います。
ちょっと熱い時、あります。
なんなら、
「あっっっっっ!!」
ってなる時もあります。
でも、私は言えません。
なぜなら、
美容師さんが悪いわけじゃないから。
むしろ、一生懸命やってくれている。
ここで私が、
「少し熱いです」なんて言ったら、
美容師さんが慌てて
レバーをガチャガチャ回して、
今度は絶妙にぬるい水みたいな温度になって。
「これくらいですか?」
「あ、もう少し……」
「じゃあこれくらい?」
みたいな、
温度調節ラリーが始まるかもしれない。
それは申し訳ない。
という謎の気遣いが発動する。
結果。
「あ、大丈夫です」
少しだけ熱い。
でも、大丈夫です。
頭皮を軽く煮込まれている気がしても、
大丈夫です。
私、結構我慢強いタイプなので、
大丈夫です。
実際は、ただ言えないだけです。
そして、
本当の関門は、ここから始まります。
シャンプーも終盤。
泡立った頭皮を優しく洗ってもらいながら、
美容師さんが聞いてくる。
「痒いところありませんか〜?」
私はこの質問が本当に困ります。
なぜなら。
たまに痒いところ、あります。
左の耳の後ろのちょっと右。
そこです。
そこが痒いです。
ピンポイントで。
なんなら少し前からずっと痒いです。
でも、言えません。
なぜなら。
「そこ洗えてなかったってこと?」
とか思わせたら申し訳ない。
「注文細かい客だな」
とか思われたら嫌だ。
という被害妄想が、開幕するからです。
あと、普通にピンポイントの
場所の説明が難しいです。
多分、
「ここですか?」
「いや、もうちょっと左…」
「こ、ここですかね?」
みたいになると思う。
結果、33年間私は一度も、
「あ、少し痒いです」
と言えたことがありません。
打率ゼロ割です。
完全試合です。
見事な敗北です。
だから毎回こう答えます。
「あ、大丈夫です」
全然大丈夫じゃない。
左の耳の後ろのちょっと右は
まだ痒い。
でも大丈夫です。
シャンプーが終わって起き上がり、
ドライヤーをかけてもらうまでの間に
気づかれないように
私は高確率で自分で掻いています。
ポリポリ。
ポリポリポリ。
だったら最初から言えよ。
毎回そう思う。
でも、次回も言えない。
不思議ですよね。
美容師さんは、
親切で聞いてくれているだけなんです。
何も悪くない。
むしろ100点満点の接客です。
それなのに私は
勝手に相手を気遣って。
勝手に遠慮して。
勝手に我慢して。
大丈夫じゃないのに、
「大丈夫です」
って言ってしまう。
相手を思うからこそ、
言えなくなることもある。
美容室も、恋愛と同じです。
好きなのに言えない。
片思いのような甘酸っぱさがあります。
格好悪いけど、
少し優しい嘘でもある。
私はきっと
次に美容室へ行った時も、
「お湯加減いかがですか?」
「あ、大丈夫です」
「痒いところありませんか?」
「あ、大丈夫です」
って答えるだろう。
もし今、
これを読んでいるあなたも、
美容室で一度も
「痒いです」と言えたことがない人なら。
安心してください。
私も同じです。
だから、胸を張って言いましょう。
「あ、大丈夫です」と。
世界は今日も平和です。


プロの書き手だなぁ。
大笑いではなく、クスッと笑わせ、
そうそう!という、みんなのあるあるを喚起させて、
サラッと心を、ちなみワールドにさらっていく。
新しいスターの誕生だな。
美容師さん。
私の重い頭を支えて手首大丈夫かな?
手荒れ痛そう。今日何人シャンプーした?
脳内でぐるぐるして、逆に疲れるシャンプータイムです。