部下の涙から学んだこと。
「ちなみさん、私も頑張ってます」
彼女は、涙を流しながらそう私に訴えた。
きっかけは、仕事終わり。
会社のみんなで飲みにいった日のこと。
私は、意図せずもう一人の部下に、
「最近、頑張ってるね」そう、声をかけた。
その一言が、彼女の涙の引き金になった。
「ちなみさん、私も頑張ってます」
その一言に、一瞬、言葉が出なかった。
もちろん、知っている。
彼女が頑張っていることも。
彼女以外の部下も頑張っていることも。
私は、誰かと比べて
その言葉を口にしたつもりはなかった。
こんなとき、
「そんなつもりじゃなかった」
という言葉は、いつも都合がいい。
でも、彼女にとって
「頑張ってるね」
その言葉は、私が思っているより
ずっと、重たい言葉だった。
考えてみれば、
その「頑張ってるね」は、
私の主観でしかない。
私の目に見えた頑張り。
私が気づけた頑張り。
私が「頑張っている」と判断した頑張り。
ただ、それだけだ。
頑張りは、
きっとそれぞれの形でみんなしている。
頑張り方も違う。
キャパもペースも違う。
見ている場所も違う。
すぐに結果を出す人もいれば、
何度もつまずきながら
昨日より一歩だけ前に進んでいる人もいる。
声に出して、「頑張ります」
と言える人もいれば、
歯を食いしばって、黙っている人もいる。
それなのに私は、
自分の目に見えたものだけを切り取って、
「頑張ってるね」と言った。
褒めたかった。
ただ、それだけだった。
だけど、誰かを褒める言葉が、
別の誰かを傷つけることもある。
そんなことを、
少し考えれば分かるようなことに、
あの日の私は気づかなかった。
そして、SNSの中でも、
似たようなことが起きるんだなと感じる。
「逸材」
「文才がある」
「あの人はすごい」
そんな言葉をよく目にするし、
耳にすることだってある。
ある程度、数字がついてくると、
意図せず話題にしてもらえることもある。
褒められることは、素直に嬉しい。
だけど、同時に複雑な気分にもなる。
私だって、使うこともある。
「すごい」
「この人の文章、好き」
思ったことを、そのまま言葉にしている。
でも時々、
あの日の彼女の涙を思い出す。
「ちなみさん、私も頑張ってます」
「逸材」と呼ばれた人の隣で、
今日も文章を書いている人がいるかもしれない。
「文才がある」と褒められた人の隣で、
一行書いては消して、また書いている人が
いるかもしれない。
「すごい」と言われる人の隣で、
毎日、ただ自分の言葉を紡いでいる人が
いるかもしれない。
ただ、私たちは時々、
目に見えるものを、すべてだと思ってしまう。
数字が伸びている。
反応が多い。
ランキングに入る。
誰かに紹介されている。
名前をよく見かける。
だから、「すごい人」
そして知らないうちに、
誰かの評価を通して、その人を見てしまう。
でも、私の「頑張ってるね」が
私の主観でしかなかったように、
「逸材」も、
「文才がある」も、
「すごい」も、
結局は、誰かの目から見た、主観でしかない。
見つけてもらうのが早い人もいる。
時間をかけて、ゆっくり見つかる人もいる。
派手な言葉を書く人もいれば、
誰か一人の胸にだけ、
ずっと残る言葉を書く人もいる。
毎日書ける人もいれば、
一つの文章に、何日もかける人もいる。
ペースも違う。
頑張り方も違う。
咲く場所も、
咲く時期も違う。
同じ結果だけを見ることじゃない。
あの日、涙を流す彼女を前にして、
私は自分が、部下たちのことを
見ている「つもり」だったことに気づいた。
見ていることと、
見えていることは、たぶん、違う。
SNSも同じなのかもしれない。
タイムラインに流れてくるものが、
すべてではない。
数字に表れているものだけが、
頑張りではない。
誰かに見つけてもらった人だけが、
逸材なわけでもない。
話題になって複数の目に触れるより
たった一人の心に刺さるほうが
実は強かったりする。
あの日から私は、
誰かの前で、誰かを褒めることをやめた。
伝えたい言葉は、
伝えたい本人にだけ伝えてる。
もちろん、
これが正解なのかは分からない。
少し極端なのかもしれない。
それでも私は、
誰かを喜ばせるために放った言葉が、
別の誰かを傷つける瞬間を、
一度、見てしまったから。
そして、何より言葉にする前に
少しだけ慎重に考えるようになった。
頑張りに、順位なんてない。
速い人も。
遅い人も。
器用な人も。
不器用な人も。
見つかった人も。
まだ、見つかっていない人も。
それぞれが、
それぞれの場所で、今日も行動している。
だから、私は
「誰がどうか」を決める人ではなく、
それぞれの行動を見落とさず、
一緒に並走できる人でいたいと思う。
あの日の彼女の涙は、
今もこうやって、立ち止まらせてくれる。



自分が見えない人や事象を気にかける優しさが素晴らしいですね(これは私の本音)
と褒めるだけの行為も多角的に見れば色々な背景が想像できたりもしちゃいます🧐
自分という看板を誰かに見せた時点で誰かを傷つけてしまう事だって充分に有り得ると思うので、個人的にはそれぞれが自由に出せそうな事を出していくのが健全な気もしますね😊
傷ついている人と同じ数だけ勇気をもらってる人もいるかも知れません😁
ちなみさん、こんにちは🌷これは難しい。ほんと、意図せず人を傷つけることってあるんだなと痛感します。悪気はなくても受け取り側のコンディションでそうなってしまうんですよね。それでも言葉を飲み込みすぎて伝えたい人に伝わられないのも残念なこと。きっとちなみさんの言葉に勇気や元気をもらっている人のほうが多いと思います☺️