保存し忘れた30分。
「保存」
その一言を押せなかっただけで、
三十分が消えた。
たった三十分。
でも、その三十分は、
時計の針が進んだだけの時間ではない。
頭の中で何度も言葉を選び、
書いては消して、やっと見つけた一文かもしれない。
夢中になって編集していた
一本の動画かもしれない。
一枚のイラストや、
時間をかけて整えたデザインかもしれない。
今、目の前の光景を残すための
録画ボタンだったかもしれない。
そこには確かに、
自分だけの三十分があった。
一つの表現を変えただけで、
景色が変わる瞬間もあった。
「これだ。」
そう思えた瞬間も、
全部一緒に消えてしまった。
現実は何事もなかったように戻り、
そこには真っ白な世界だけが残る。
あれほど賑やかだった頭の中まで、
一緒に静かになってしまう。
不思議だ。
同じ瞬間は、二度と保存できない。
感情には賞味期限がある。
その瞬間だから紡げた言葉は、
五分後には少し色褪せていて、
三十分後には別人が書いた文章のようになることもある。
だから私は、
消えたのはデータではなく、
「その瞬間」なんだと思っている。
何かを思い、
何かを感じ、
少し悔しくて、
少し笑えて、
少し楽しくて。
そんな今を、
残しておきたい瞬間がある。
だからこそ、尊い。
「もう一回やろう。」
そう思ってキーボードを叩いても、
指はさっきほど軽くない。
さっきは自然に出てきた言葉が、
今は探さなければ見つからない。
あれ?
この表現、なんだったっけ。
最後の締め方、
すごく気に入っていた気がする。
思い出そうとすればするほど、
霧の中へ逃げていく。
記憶って、本当に気まぐれだ。
でも、あの三十分が消えたからこそ、
今書いているこの言葉がある。
もし保存されていたら、
きっと生まれていない。
失くしたと思っていた時間が、
形を変えて戻ってくることもある。
逆に、
保存しなくても胸に残り続ける
忘れられない三十分もある。
あの日の思い出も、
温もりも、
交わした会話も。
どれだけ時間が過ぎても、
心はちゃんと覚えている。
人生も、少し似ている。
遠回りした時間や、
無駄だったと思った出来事が、
あとになって自分を励ます言葉になることがある。
だから、
保存し忘れた三十分は、
本当に消えたわけじゃない。
見えなくなっただけで、
私の中にはちゃんと残っている。
次に似た景色を見たとき、
次に同じような気持ちになったとき、
あの三十分は、
少し違う言葉になって、
また帰ってきてくれる気がする。
もちろん。
できれば次は、
ちゃんと保存ボタンを押したい。
せっかく帰ってきてくれるなら、
もう一度どこかへ旅立たないように。
そう願いながら、
今日も私は、
少しだけこまめに「保存」を押していく。



失敗から学ぶことは少なくないですよね。
3〜4時間ほどの作業を何度か飛ばした経験があると、嫌でも合間合間の⌘+Sが身につきます。ただ注意深く作業してるのであれば、やり直しの方がクオリティが上がることは珍しくはありません。
前向きに、怪我の功名🐾
これは事件!
でも、その失敗を書いたことで新しい文章が生まれてるところが素敵🥰
わたしも、作業中のこまめな保存を忘れないようにしよっと!